目次

序章 問題意識

1章 国際結婚の展開

2章 日本人男性と結婚した外国人女性が突き当たる問題――先行研究から

3章 インタビュー調査

4章 分析・考察

参考文献

 

 

序章 問題意識

日本で生活する外国人の数は増加している。そのことは、私たちが日本での日々の暮らしの中で出会う外国人の数の多さからも容易に推定できることである。国から国への移動が容易になり、かつ異国で生活する機会も増えた今日、当然、その帰結として外国人の伴侶を得る人たちが増えることになった。国際結婚は、国際化していく社会をビジュアルに示すひとつの指標でもある。最近では、新聞、その他のマスメディアでも国際結婚の話題がしばしば取り上げられるようになっている。

 2001年から私が一人の留学生として日本での大学生活を始めた。もっと日本人の考え、生活に近づけようと思っており、民間各ボランティア団体が主催した日本文化を親しむという活動を参加しに行っていた。その異文化交流の場で、初めて日本人と国際結婚をしている女性に出会うことができた。

しかし、私が生活する上で日本人と国際結婚をしている女性と接する機会は少なく、実際どのような生活をしているのかはあまり見えてこない。

彼女たちは日本人の配偶者として日本での在留資格を取ることができた。しかし、自分国の文化と習慣を身につけていて言葉も分からない日本に住み、困ったことは多いではないかと思う。お互いの文化、習慣、言葉、宗教などが違うため、実際に生活を始めると、かなり多くの壁にぶつかるように思える。

国際結婚したカップルたちにとっては、おたがいがパートナーの文化に無知であり、相手の文化を容認するのを無視してしまうことによって起こった摩擦は多いだろう。このように、小さな違いが日々の生活のなかで、積もり積もっていくと、夫婦の間に大きな溝をつくりかねないではないか。では、「自分が異なった文化に生きてきた」という相違をどのような形で相手に分かってもらうか。私の視点は毎日の食卓あるいは夫婦の食生活を焦点に定めている。この卒業研究では、文化的、言語的な違いから共同生活を送ることに困難さを増やすと思われる国際結婚をしている女性へのインタビュー調査を通して、おたがいが相手の食事を受け入れ、国際結婚によるギャップを埋めていくにはどんな社会的要素がかかわるのかということを見て行きたい。

本論においては、1章、2章で文献、資料によって国際結婚の展開、日本人男性と結婚している外国人女性が直面する問題を見てきた上で、3章のインタビュー調査に基づき、4章では食生活、家事、言葉、同居者、家族以外の人々との交流活動の五つの観点から分析を進め、前述の問題意識に関して、どのような結果を見て取れるかをまとめる。

 

 

 

 

 

第1章   国際結婚の展開

第1節          統計から見た国際結婚

 

11は、国際結婚に関する統計が出されるようになった1965年から現在までの国際結婚件数の数位を示している。この図11から明らかなように、日本国内で届けだされた結婚のうち当事者の一方が外国人である件数は、1965年の4156年から1998年の29636件へと33年間に7.1倍になっており、中でも夫日本人・妻外国人の結婚件数は20.8倍と、妻日本人・夫外国人の2.4倍を大きく上回っている[竹下2000 p115]

国際結婚の増加が顕著であったのは1985年−90年にかけてで、わずか5年間で2.1倍になっている。これは、19859月のプラザ合意による円高・ドル安後、バブル景気の発生に伴い、日本人の海外渡航の飛躍的な増加、及び強い円を求めて日本での稼働を目的とする外国人入国者数の増加と相まってのことである[同書p115]。

11

               [竹下2000 p115]より

 

夫婦の組み合わせの比率を比較すると、1965年には国際結婚全体の約75%が夫外国人・妻日本人であったが、74年には約半数ずつとなり、88年に至っては約75%が夫日本人・妻外国人であるというように、その比率は逆転した。そして、その後もほぼこの割合で推移している[同書p118]。

2節 増える国際結婚

 

結婚をすれば、夫婦を中心とした家庭が生まれるわけだが、そこには地域の伝統、お互いの家庭の習慣とか親族や友人、知人の係りとか諸々のしがらみが伴う。特に、地方ではさまざまな因習が若い女性に嫌われて婚期を逸する青年が増加し、嫁不足が問題になっている。一方、都会においても人口的には多数の男女が住んでおりながら、結婚難ということでは地方に劣らず、仕事におわれて自分で相手を見つける時間がない、職場の人員構成が偏っていて適齢期の相手がいないなど、交際のきっかけをつかめずに、都会の中で孤独感をかこつ男女が増えつつある[小林1994 p14]。

結婚を数字の上から眺めてみると、一番多かった年は近年では、一九七二年(昭和四七年)の約百十万組をピークとし、それ以後減少していき、一九八〇年から一九九〇年代には年間約七十万組台に落ちている。このように結婚件数が減少している中で、国際結婚は大きく伸びている[同書 p1415]。

日本は島国という位置環境で単一民族であることから異文化を容易に受け付けない歴史を持っていたが、戦後の目覚しい国際交流の経験を経て外国人を「異国人」として特別視する意識は薄れ、同じ人間であることに基づく共通の価値観を見だすことに努めるようになり、閉鎖的な壁は取り払われつつある[同書 p15]。

日本の経済的発展に伴い、社員としての外国人、産業上の技術・知識の勉強のために来日する者(研修生)、興行を目的とするフィリピン女性を中心をとした歌手、ダンサーなど、留学生・就学生、観光客を含めた短期滞在者(観光ビザ)など年間約400万人の外国人が来日するようになっている。これらの外国人と日本人が仕事や私的な交流及び夜の酒場、スナック、風俗営業店などで触れ合う機会が増えれば、自ずと男女の恋愛から結婚へと発展する人達が出てきてもおかしくない[同書 p15]

国際結婚の相手国を調べてみると、日本人男性が海外観光の渡航先国として選ぶ国が増えるのに比例しているようだ。昭和五〇年代から現在に至るまでの間、日本人男性観光客はフィリピンを中心として増加、続いてタイを中心とした南方諸国に集中し、その後中国本土へと続き、また、最近では中国から来ている留学生、就学生の増加に並行して、中国人との国際結婚の増加が注目されている[同書 p16]

第二次大戦後、昭和二〇〜三〇年頃までは、国際結婚と言えば在日韓国、朝鮮、台湾の人との結婚が大半を占めていたが、日本の経済的成長と海外旅行の自由化に伴い、それら三国以外の国の人々との結婚が増え、国際結婚も多様化されてきた[同書1994 p16]

このような状況の中で、国際間の人間的な触れ合い、特に独身者である男女が国境を越えての交際の機会に恵まれれば、国際結婚が顕著な勢いで増えてくるのも当然のことと思われる。日本の青年たちがボランティア活動のために、あるいは商社マンとして、海外へ飛躍していく時代にあって、人種を越えた結婚に抵抗がなくなりつつあるのも時代の流れと言えるだろう

 

 

 

2章 日本人男性と結婚した外国人女性が突き当たる問題――先行研究から

 

日本人男性と結婚した外国人女性が日本で滞在するにあたって抱える問題としてはどのようなことがあるのだろうか。日本で働き、学ぶアジアの青年たちとの相互扶助、交流を目的とした団体である「APFS(Asian Peple’s Friendship Society)(東京)では、「国際結婚ホットライン」として電話相談を行った。相談内容は、滞在資格をめぐる法律問題が多かった。また、夫の暴力や生活習慣の違いを主な原因とする離婚問題が相談内容の40.3%を占めたという。

なお、ここで参照した文献の中には、国際結婚をめぐるトラブルの相談者の国籍はさまざまであるが、そこには日本人男性と外国人女性の結婚については、資料から、一九九二年の統計でもニューカマーの中で最も婚姻件数が多く、「定住化」が進んでいるとみられるフィリピン人女性との結婚のケースを参照している。

 

 

第1節          結婚のきっかけ

 

 日本人男性とフィリピン人女性が結婚するきっかけは大きく分ければ二つある。時期的に古い順に並べると、一つ目は、エンターテイナーとお店で知り合う場合であり、これはきっかけとしてはおそらく一番多いと思われる。一九八〇年代以降顕著になった日本の性風俗産業へのフィリピン人女性の出稼ぎにより、日本全国のパブやスナックで、日本人男性とフィリピン人女性が知り合う機会が増えた。二つ目は業者などを通じたお見合いである。一九八五年八月、山形県西村山郡朝日町で、行政主導で集団見合いが行われたのを皮切りに、結婚難の男性を抱える「ムラ」が過疎対策として外国人花嫁を求めるケースが増え、また、都会においてもフィリピン人女性を斡旋する民間仲人業者が増加した[駒井1995 p84-85]。そして、最近ではすでに日本に居住しているフィリピン人から親戚・友人を紹介されるという例が出てきている。一つ目、二つ目のきっかけにより結婚した人々がすでに日本での生活に落ち着き、さらに人の輪を広げるというケースが少しずつ増えているようである[駒井1985 p85]

 

 

第2節 結婚をめぐる問題

 

 これらの研究によれば、国際結婚に伴って生じる問題には、法律的な問題と日常生活レベルの問題とに分けられる。

 一つ目の法律的な問題は、結婚する以前に、フィリピン人女性が「不法」就労・残留をしている場合である。この場合には一旦女性がフィリピンに帰り、あらためて「日本人の配偶者等」のビザを申請する、または在留特別許可を申請するなどの手続きが必要になってくる。また、配偶者が亡くなり、それまで日本人の配偶者としての資格で在留していた場合には、フィリピン人女性は引き続き日本に在留することができない[駒井1995 p85]

 しかしフィリピン人女性と日本人男性の場合には、日常生活レベルの問題が大きいようである。文化の異なる二人が共に暮らせば、そこにさまざまな問題が生じるのは当たり前であるが、カップルの関係に関しては、結婚するにあたって抱いていた双方の思惑の食い違いが、大きな問題となるケースが多い。

 お見合いで結婚する場合、日本人男性は学歴、職業、容姿、家庭などの条件から、日本人女性と結婚できなかった人が多い。特に農村に住む人との場合には、イエを守る、後続きを作るという義務を背負って外国人女性と結婚する。そして、日本語の使用、日本のしきたりへの同化を一方的に求める。エンターテイナーとの結婚の場合でも、イエの重さの軽重こそあれ、自分の文化、生活習慣への一方的な同化、さらには帰化までも妻に求めるケースは多い。そこにみられるのは、結婚相手として選んでおきながらぬぐいきれないフィリピン人女性への蔑視である[駒井1995 p86]

 一方、フィリピン人女性の場合には、よい生活をしたい、という希望を持って、経済的に豊かな国ニッポンの男性と結婚するわけである。その場合のニッポンのイメージは、お見合いによる「農村花嫁」の場合、東京などの大都市のイメージであり、実際に結婚相手の居住地にきてみると話がちがう、ということが起こる場合がある。エンターテイナーの場合には、正式に結婚すればビザが配偶者の資格に切り替えられ好都合なため、日本人男性との結婚を選ぶことも多い[駒井1995 p86]

 また、実際に生活を始めてみてわかることも多い。フィリピン人女性に往々にして自分の母語であるタガログ語でフィリピンのことをしゃべることができず、英語すらほとんど通じない家庭、地域の中で、不自由な日本語での意志疎通を強いられる。教会でのミサにすら参加できないなど、自分の宗教も尊重してもらえない。こうした状況の中で、イエを守るという考えを押しつけられると、女性はストレスをため、精神的に不安定な状態に陥る場合もある。そこには、夫とその母()との関係が強すぎ、その関係の中に入りきれない、イエに適応できない孤独な妻の像が浮かび上がる[駒井1995  p86-87]

 

もちろん、こうした問題を乗り越えて、幸せな家庭を営んでいるカップルも多い。その場合には、夫が妻の文化を尊重すること、及び打算を越えることでお互いに二人の関係を築こうとする努力がなされている。

本稿で、インタビュー調査に協力していただいた方は、国際結婚をめぐる法律問題について語っていなかった。彼女たちの結婚は、お見合いや、エンターテイナーと知り合うといった形の結婚ではない。また、彼女たちには、日本で経済的によい生活をしたいという動機があるわけでは必ずしもない。しかし、文化の異なる二人が共に暮らせば、日常生活において生じる問題は、フィリピン人女性と日本人男性の場合にも近いところもある。たとえば、言葉による意思疎通をどのように行っているのかというのは、本稿の場合でもやはり重要なポイントであろう。言葉の問題は、単に夫との関係だけでなく、家庭や地域といった場での社会関係上において着目する必要がある。特に、同居する姑との関係は外すことができないだろう。次では、彼女たちへのインタビュー調査内容を通じてどんな問題が夫婦を悩ませるか、そしてカップルがそれぞれの考えを尊重し一つの「家族」をつくることにはどんな努力が必要となるかを見て行きたい。

 


3章 インタビュー調査

 

第1節 調査の概要とインタビュー内容

 

1−1 調査の概要

国際結婚をする日本人が増えている。その結果として、日本への「定住」を選択する外国人が増えていることも事実である。資料によると、一九九二年には、「夫日本で妻が外国」が2.6%に対し、「妻日本で夫外国」は0.9%と、約三対一の比率にまでなっている。国際結婚全体の比率が増える中で、「夫日本で妻外国」の比率の伸びが著しい点は特徴的であるという。いくら好きあって結婚するとはいえ、何年、何十年も共同生活を送るというのはどれほど難しいものだろうか。では、実際に国際結婚を選んだカップルたちがお互いを理解して助けて合って幸せな家庭を築いていこうと思う場合、どのような行動によってそれを継続しているのだろうか。

ここでは、実際に国際結婚をしている人(4人、妻のみ)にインタビューという形式で、彼女たちの生活を伺った。

 

【インタビュイー一覧】

インタビュイーは4人であり、二人は中国人で、二人はロシア人。その中、二人のロシア人は私の日本人友達の紹介で、ほかの二人は富山国際交流センターの事務局員を通して知りあった。

 

Aさん(35歳 中国出身 専業主婦)

インタビュー場所:富山市国際交流センターの休憩コーナー

インタビュー時間:830(午前中)

使用言語(インタビュー):中国語

インタビュー時間:40

 

Bさん(40歳 中国出身 パート・現在、専業主婦)

インタビュー場所:Bさんの家

インタビュー時間:929(午前中)

使用言語(インタビュー):中国語

インタビュー時間:23

 

Cさん(29歳 ロシア出身 ロシア語非常勤講師)

インタビュー場所:富山大学人文学部の留学生控え室

インタビュー時間:1029日(午後)

使用言語(インタビュー):日本語

インタビュー時間:29

 

Dさん(32歳 ロシア出身 ロシア語非常勤講師)

インタビュー場所:富山大学人文学部の留学生控え室

インタビュー時間:1029日(お昼)

使用言語(インタビュー):日本語

インタビュー時間:22

 

 

1−2 インタビュー内容

 

@基本的な情報

年齢、出身、いつ来日したのか、夫との出会いのきっかけ、交際暦(いつ結婚したか)、子供の有無、インタビュイー本人の仕事及び夫の仕事。

 

A家庭内の雰囲気

「夫の家族と同居していますか」という質問に対して、「同居している」と答えた場合は「@義母と一緒に料理をしますか、家事はどのように分担していますか」、「A同居してみて、助かると思ったことは何ですか」、「B日本生活習慣などについて、どのようなことを教わりましたか」という質問に進んだ。また、夫婦間の家事分担、及び日常生活にかかわる些細なことについては「ご主人は帰宅後休日に一緒に買い物や料理などをしますか、日ごろの家事分担はどのようにしていますか」、「夫や夫の家族への不満を感じたりしましたか、また、どのような形で解決しましたか」、「ふだん、よく作る料理は何ですか、ご主人の好きな料理は何ですか(ふだんの食事に関すること)」という質問を考えて出した。

 

B友人との付き合い

「現在親しくしている友人はいますか」、「いる」と答えた場合、続きは「@その人は日本人ですか」、「Aどのようなきっかけで知り合いましたか、B外食したり遊びに行ったりするのは週または月に何回ぐらいですか」、「Cどのような話(話題)をすることが多いですか」というようなことを聞く。

 

C日本文化への接触度

「日本語教室に通ったり、そのほかの日本文化に親しむ活動に参加したりしていますか」という質問には、「している」と答えた場合はいつから、参加期間と参加頻度を詳しく教えてもらう、(たとえば週または月に何回ぐらいですか)。

また、料理教室を通ったことはある場合は「いつから通っていましたか、現在も通っていますか(参加期間)」、「週または月(または年)に何回ぐらい通っていますか(参加頻度)」。次に「習った調理をご主人に食べさせたことはありますか、ご主人の反応はどうでしたか」、「参加してみて、悩みが解消されたということはありますか」なども。

 

Dその他

最後に、「来日する前に日本人男性にどんなイメージを持っていましたか、その後変わりましたか」、「言葉も何にも分からない日本に来て、困ったこととか、驚いたこと(カルチャーショックを受けたこと)はありましたか(特に、食べ物や料理に関することあったら、教えてください)」というような質問を含めている。

 

 

第2節 国際結婚を語る女性たち

      〜日本人と国際結婚をしている女性たちのプロフィール

 

() Aさんの事例

Aさんは1969年に中国の広西省南宁市に生まれ。親戚の従妹の紹介で現在の夫と出会った。昔、Aさんの夫は中国へ留学に行ったことはあり、その時知り合った友人はAさんの従妹の夫であるらしい。二人は交際2年後、20022月に入籍した。20033月にAさんは夫とともに来日した。

夫との出会いについては、Aさんは「私たちはほかの国際結婚カップルと違って、結婚する前に二人は仲がよく付き合っていた。そして、私たちは同じ趣味を持っている。主人も私も料理が好き」と述べた。休日に二人はよく料理屋にいろいろな料理を食べに行く。将来、二人は料理屋を出したいと言っている。「今、主人は中華調理師をやっている。父も料理師で、私は幼い頃から父の影響で料理が好き。ふだん、私たちの間では料理に関する話題が多い。主人は私と結婚する前に中国で自分をよく理解してくれる人に出会えるなんて全然思っていなかった」と言っていた。来日する前にAさんは規模が大きくない会社を経営していた。中国では「個人経営者」と呼ばれている。貿易仕事の関係で走り回ったところは多く、出会った人も多い。Aさんは「日本人はマナーも正しい、文化教養も高い」と、日本人にいいイメージを持っている。

 結婚後、Aさんは去年の9月から料理教室の活動によく参加するようになった。いろいろな国の料理を習うことができるし、自分が料理の先生になることもできる。現在、Aさんは夫の両親と同居しているので、家で習った料理を作ってみて姑にも喜ばせるし、いろいろな料理を試しながら、家族間の話題も増えてきた。家事分担については、いつも義母さんと一緒に二人で共同にやっているらしい。Aさんは何をやるべきか自分もよく考えているし、義母さんも教えてくれるし、お互いに協力してやっているそうだ。Aさんのご主人は料理の調理師であり、家族のことをよく考えてくれる人で、ふだん、Aさんは忙しくなるときに夫が家事をよく手伝うと言う。ほかの日本人と国際結婚している女性に比べて、Aさん自身は非常に幸運だと感じている。

しかし、料理の作り方においてはAさんが夫との意見は合わないところもある。夫のほうは料理に関して専門的な勉強をしたことがあり、中国料理の付け合せには詳しい。Aさんは料理に関する専門的な勉強をしたこともないし、具体的なやり方も知らない。だけど、Aさんは家庭環境にはぐくまれて料理が大好きで、中国食文化に関する深いところまでよく知っているという自信があるようだ。Aさんは夫の考え方であれ、自分の考え方であれ、必ずしも正しいとは限らないだと思っている。「よく考えたら、彼は作り出した中国料理の味は日本人の口に合うかもしれない。日本人の舌に合う中国料理の味を主人はよく知っている」とAさんは話した。夫婦間では、料理の添え物の違いによる喧嘩が多くなったが、言い争いでは誰が正しく誰が誤っているかを明らかにすることができるとAさんは思っている。

 Aさんの夫は中国語を話せるので、ふだん、夫婦間の会話はほとんど中国語が使われている。お互いが言葉という壁はないので、生じた問題は少ない。しかしながら、Aさんは夫が中国語を話せることにしても、中国文化を少ししか知らず、深く理解していないところもあると考えている。Aさんは日本語を習い始めた後、日本文化を深く理解するのが難しいということを改めて思っている。そして、日本語と中国語との違いが多く、日本語の動詞の変化も多くて覚えるのは難しいし、習った言葉をうまく活用することはできないと言っている。Aさんは同居している夫の両親と日本語で会話しているそうである。両親と同居して助かったと思ったのは「私はせっかちだから、思ったことをすぐ言い出してしまう。彼の両親と一緒に同居してから自分の性格は変わった。彼の両親の気持ちを考えなければならない。夫婦喧嘩するときに親のことに気を配り、二人はできるだけ喧嘩しないようにしている」ということである。しかし、Aさんの家には嫁に厳しい姑がいる。Aさんと夫は中国語で会話するため、二人の会話の内容について姑は全然分からない。結局、夫婦間では喧嘩になりそうな雰囲気に見えたときに、姑はその原因を聞かずに嫁だけを責めているらしい。Aさんは「それはまったく理屈に合わない」と思う。姑とそのようなつまらないことで口論するが、Aさんは「郷に入っては郷に従え。その家族の中に入って、いきなり皆に私の生活習慣に従うのを言ってはいけない。私もお母さんの気持ちをよく考えてあげているし、双方で多少とも歩み寄れば、問題は解決できるだろう。私を家族の一員として一緒に暮らしたいと考えてほしい。お互いに尊重し合うことは大事だろう」と考えている。

 Aさんは人との付き合いを大切にしているので、日本語教室で知り合った友人と仲良くしているらしい。「この日本語教室を通じて中国人だけじゃなく、たくさんの国の人に出会うことができた。皆は会話することにより、異国の生活習慣などを知ることもできた」と言っていた。毎週、皆は一緒に日本語を学ぶ時間があるので、勉強が終わった後Aさんは友人たちと食事をしたり、買い物したりする。生活情報に関しては、お互いも交換していると言っていた。

 

() Bさんの事例

Bさんは1964年に中国の山西省出身。Bさんより一年早く来日した友達の紹介で現在の夫と出会った。2000年に結婚した。来日する前にBさんは中国の日本語学校で半年くらい日本語を習ったらしい。最初、日本語に少し興味があるという機会から始めたが、夫と知り合った後日本語の勉強を続けようという思いが更に強くなったと言う。

結婚する前の二人にとって、唯一な連絡方法は電話であった。Bさんは日中辞典を二冊購入し、一冊を自分の手元に、もう一冊を夫に送った。毎日一時間以上の電話をかけていた。「話しをして分からないところあったら、二人とも辞書を引く。その単語を見つかった人は相手に教える」と言っていた。そのような付き合いは二人の間では毎日続いていた。来日する前に、「日本人男性はケチだ」といううわさを耳にしたことがあるが、本当は「すこし違うなぁ。今の日本人男性は中国人男性に比べて上品だ。まず日本人男性は他人への思いやりがある。中国人に見られたケチではない」と、Bさんは思ったという。Bさんは離婚暦がある人であるので、来日したときは中国から一人の子供を連れてきた。現在、二人にとってこの子しかいないので、「主人もこの子を自分の子供として育てている」と、Bさんは嬉しげに語っていた。

Bさんが来日したときに夫はある会社に勤めていたが、一年前リストラされた。最近再就職することができた。ふだん、家事はそれぞれ分担していないが、夫もなんでも手伝ってくれる。Bさんは仕事をしていたときに、夫は晩御飯を作っていた。三ヶ月前に仕事をやめた後、Bさんは家で専業主婦をやっている。ふだん、中国料理をよく作るが、家族の皆は美味しく食べてくれると言う。Bさんは「皆は中国料理に比べてきっと日本料理が好きだろう」と思っている。そのため、現在Bさんは日本料理の作り方を覚えたい。Bさんの夫は食事に対して好き嫌いはないが、季節のものが好き。いつも、Bさんは夫の食生活に気を配っている。

夫、夫の母親との会話は日本語で行われている。「ほかの人は言葉の交流はあまりないという話を聞いたことはあるけど、ウチは特別かもしれないけど、喋りは終わらない」そして、「不安や不満を感じていない。ウチではわだかまりが生じたら、翌日までこの溝を取り除くことをしない」、「うん、言葉が通じるので。不満はない」と、Bさんは言っていた。しかも、Bさんは夫の母親と同居して一番助かったのは言葉の勉強だと言う。もう83歳になった義母さんはできるだけ自分の言葉を標準語にして親切にBさんに解釈してあげていたそうである。義母さんはわざと人を困らせる方ではないし、細かいことを気にしないらしい。お昼、家にだいたいBさんと義母二人きり、年配の義母さんはいつも家事をBさんに任せている。

Bさんは親しい友人は多くないと言ったが、現在近所に住んでいる一人の日本人の友達と仲良く付き合っている。「近隣だから、私たちはよく行ったり来たりする。月に二、三回ぐらいお出かけするが、毎週も二、三回会っている。お互いは料理をあげたりくれたりする」と言っていた。その日本人の友達は中国文化、生活習慣などに非常に興味を持っているので、日頃、二人は中国文化に関する話題が多い。Bさんは住んでいるところには町内の活動が多く、たとえば、運動会や祭りなど。Bさんは積極的に参加していており、今年町内の婦人会の役員になったと笑いながら語っていた。

 

() Cさんの事例

Cさんは1975年にロシアのノビシビルクスという町に生まれ。現在の夫と同じ先生の授業を受けるというきっかけで出会った。夫との出会いについて、Cさんはこう語っていた「本当に偶然で、たまたまで会いました。私はあの大学院に入るために、授業を受けました。ある先生のところに行って、先生と一緒に本屋さんに行って、私の主人と本屋さんで会いました」。二人は付き合ってから一年後(1996年に)結婚した。結婚後、Cさんは日本人の配偶者としてのビザが取れなかったので、半年くらいロシアに残されたらしい。その後、ビザの問題が順調に解決され、1997年に来日した。二人は出会う前にCさんは日本人男性へのイメージは悪くも言えないし、よくも言えない。しかしながら、日本の歴史、文化などに興味があり、一回行ってみようという思いがあったが、日本に居住することを全然考えていなかったらしい。

来日して初めての頃は、Cさんは日本語を全然喋れなかった。普通の生活だったら夫に助けてもらったりしていた。たとえば、外出することとか、一緒に歯医者さんにいったりすることとか。ふだん、困ったことはなかったけど、夫はそばにいないと自由がない、どこにも行けなかった。「やっぱり、寂しい。テレビを見て、最初何にも分からなくて、ニュース、世界ニュース何を言ったの?何にも分からなかった。そういう何にも分からない世界だったから」と言う。子供を生まれてから、近所の子供連れの人との付き合いは多くなってきて少し安心して楽しく生活するようになった。その後、2歳の娘を保育園に行かせ、Cさんは日本語学校に入って日本語を習い始めた。Cさんには日本人の知り合いがいるが、親しい友人とは言えないと言っていた。ロシア人の友達がいる。「週に一回集まって、子育てとか、いろんな日本人の習慣とか、最近のニュースとかも。どうしたんだろうか、いろんな。なかなか分からない。ロシア人と違って」、そういう話をしている。

Cさんは夫、5歳の娘と三人の家族で暮らしている。夫は大学の教員で、Cさんはロシア語非常勤講師という仕事をやっている。5歳の娘は2ヶ国語(日本語、ロシア語)を話せる。Cさんと娘の会話はロシア語を中心にし、夫は子供と日本語で喋っている。Cさんは「それは一番自然だ」と言う。そして、夫婦間では日本語とロシア語を使っているが、日本語で自分気持ちをうまく相手に伝えられないときにロシア語に変わってしまう。

 Cさんの家族では夫婦共働きなので、夫婦二人揃って週に一回くらい一緒に買い物する。ふだん、Cさんは料理を作っているが、週末なら夫に作ってもらえるらしい。Cさんの母国では、ソ連の時代から女性は男性と一緒に働かなければならないので、一日8時間働き、女性一人で家事をやるのは大変なことだし、ロシアの男性は家でできるだけ家事を手伝うと言う。そういう社会で育ってきたため、Cさんは「夫が家事を手伝うのは当たり前のことだ」と思っている。Cさん夫もよく家事を手伝うし、最初からはそういう感じだったらしい。

 現在、Cさんは夫の両親と別居しているので、日本料理の作り方や日本の生活習慣などについて電話で姑に伺うときは多い。夫の両親は年に何回もCさんのところに来ているし、Cさんも家族三人でそちらに行っている。Cさんは「家族、主人の家族と、不満あまりなかった。普通にやさしくしてくれるから、全然喧嘩とか。あっち日本人だし年寄りだし、親切しなきゃと思ったから。一緒に住まないから、一年5回くらい会ってもそんなにも気にしなくてもいい」と言っていた。そして、時間余裕があれば、自分で雑誌を見たり、料理のレシピを探したりする。「英語訳があるので、分かりやすい」と言う。Cさんの夫は日本料理が好きなので、毎日の食卓に夫の口に合う日本料理が並んである。結婚して初めての頃、Cさんは日本料理をつくることができなくてロシア料理で頑張ってきたが、夫に怒られ、二人は大喧嘩になるときはしばしばあったらしい。ロシア料理と日本料理の違いについては、Cさんは「ロシア料理はいろんな野菜を煮込んだり、ボルチェーとか、何種類の野菜を入れても一つの鍋。結局、食べる前にひとつのお皿になってるけど、日本人の習慣だと、いろんな野菜、いろんなお皿に、見るときに何個のお皿が並んでいる。たとえば、数えてどんな野菜を使ったか。同じ材料を使ったけど、問題は一つの皿、一つの皿じゃない。でも、たとえばボルチェーとパン一緒に食べてお腹がすごくいっぱいなってる。もう一ついらない」と語っている。ロシア料理は、たとえばCさんの話の中で例として上げたボルチェー、何種類の野菜を一つの鍋に入れて煮込んだりするので、出来上がった料理が一つのお皿に入れてしまう。ロシア人とって、ボルチェーとパンは栄養がたっぷりのご馳走である。それに対して、日本料理は一つの料理を一つのお皿に、味噌汁とご飯を加え、見た目で食卓は豊かである。自分が頑張って作り出した料理に対して、夫に料理の数は少なく、頑張ってくれないと言われた瞬間に非常に腹を立っていたらしい。ここで、Cさんは「文化の違いから感じが違う。私はこの料理をいろんなお皿に移したら、大丈夫かな」、「たぶん、ロシア料理はちょっと油濃い感じで、日本料理に比べて。だから慣れていない料理を食べるとやはり疲れるかな」と思っている。Cさんの夫はロシア語も喋れるし、ロシア文化をよく理解するはずだと思っているが、二人は一緒に住み、近くになると案外なことが起こってしまう。Cさんは「主人にも案外で、自分でも分からなくて。どうして?その頑張らない感じで、どこから来た?」と話した。最初、Cさんは怒ったりしたが、「すぐ落ち着いて、話をしよう」という意識で、問題が解決されたらしい。

 

() Dさんの事例

Dさんは1972年ロシアに出身。1994年に短期留学で初めて日本に来た。そのとき、スポーツクラブをよく通い、そこで現在の旦那さんと出会った。日本人男性は自分のことをアピールしない、女性に対して積極ではないと、Dさんは思っている。現在もそのイメージはあまり変わっていないそうである。短期留学を終えた後、Dさんはロシアに戻った。その後、日本の大学院に入ろうと思って再来日したという。1997年に二人は結婚した。現在、Dさんは二人の男の子の母親である。

Dさんは夫の母親と同居している。ふだん、家事分担については、「家は畑とかはあるから、だから、だいたい外の仕事はおばあちゃんがしてくれるんですね、仕事の後、休みの日に。家の中の家事は私。まぁ、言われないでそういうふうになってきたんですね」と言っていた。Dさんの夫は会社員。夫は仕事で忙しくて家にいる時間は少ないらしい。休日に一緒に買い物とかをしているが、料理は全部Dさんに任せている。Dさんと家族は一軒家に住んでいるので、家の周りの仕事を夫にしてもらっている。そして、庭でバーベキューをやるときに夫はその担当者であり、その日に料理とかを全部やってもらえるらしい。Dさんの夫は料理に対して好き嫌いはなく、どの料理でも美味しげに食べてくれるという。

Dさんはロシア語非常勤講師である同時に通訳の仕事もやっている。仕事で帰りが遅くなったときに義母さんに子供の面倒を見てもらっている。「子供が二人いるから、お祖母ちゃんはいてくれたほうがすごく助かる。うん、時々たとえば、夜仕事するときもあるから、お祖母ちゃんは見てくれるし、うん、お祖母ちゃんのおかげで円満のような気がする、家庭が」、「お祖母ちゃんは優しいお祖母ちゃんだから、いいお祖母ちゃん。うん、喧嘩とかしてないし、だから、おかげでけっこう円満です」と、そして、夫に対してDさんはこう語っていた。「私は働いているけど・・・あのー、収入にならないから、結局私の仕事は。ずっと一箇所の仕事をしてるのではなく、時給でお金をもらってるから。でも旦那は私の仕事を尊重して私はやりたいようにやらせてくれる。それはすごく感謝してます。専業主婦でやりなさいっていうのはまったく言わないから、やりたいならやれば。子供まだ小さいだから、6歳と3歳。だいたい日本の家庭ではそのときお母さんは専業主婦をしてる人は多いですね。うん、そういうのは言われないから、うれしい」。

最初、日本語をある程度わかって日本に来たので、困ったこと、カルシャーショックを受けたことはあまりないらしい。「楽天だったか、若かったからか、全然。楽しかった」、「日本に来て、いろんなイベントとか行事とか参加したりして、なんか楽しかった」と、Dさんは言っていた。現在、Dさんは字がきれいにしたいという一つの目的で、書道教室を通い続けているらしい。Dさんはロシア人の友達が多いと言っていた。友人との出会いきっかけについて、Dさんは「ロシア人で有るきっかけで知り合いになる。たとえば、同じく日本の大学に留学に来てる女の子がいれば、大学の先生の奥さんと知り合って、友達になって。うん、それはなんか、特にイベントあって、その中ロシア人いて、ちょっと声をかけて、その付き合いが長くするんですね」と話している。「今の付き合いが、あのー、私はすごく大事にしたいですね。とても恵まれてると思います。こっちに知り合ったロシア人でも日本人でも。とても恵まれてます。大事にしなきゃと改めて思います」と述べていた。

嫁と姑の問題については、Dさんは「嫁と姑の問題は国際問題じゃないと思いますね。それは日本人同士でもすごく、あの、問題が多くて(中略)まぁ、言葉通じるから、とりあえず問題あったら解決するように、言葉で解決することは言葉で解決して」、「もしかして、お母さん、お祖母ちゃんは私に対して不満はあるかもしれないけど、私それを聞いてないから分からない。私は彼女に対して何にもないですね。そういうのは」と述べていた。

 


4章 分析・考察

 

結婚生活において重要なポイントはいくつかあると思うが、本稿では、(1)「食生活」に関する悩み(ちょっとした摩擦)の経験についてみた上で、(2)「家事」、(3)「言葉」、(4)「同居者」との同居がどのように関わってくるか、(5)「家族以外の人々との交流活動」の5点を見て行きたい。この5点を選んだのは、「食生活」は食文化の違いは夫婦が異なった文化に生きてきたことを思い知る初歩の段階であるだろうと考えから、「家事」は、共同生活における雑事の処理の方法がお互いに納得できなければ結婚生活は長続きしないだろうという考えから、「言葉」は国際結婚に成功している女性たちは夫及び夫の家族との言葉によるコミュニケーションに成功している人たちだろうという考えから、「同居者」では結婚相手の親であるという理由半ば強制的に存在する親から大きな影響を受けるだろうという考えから、そして「家族以外の人々との交流活動」は違う文化がぶつかりあっても、日本での交流の場をどのように広げようと思っているかという考えから、である。

 

 

1節 五つの観点による分析

 

この節では食生活、家事、言葉、同居者、家族以外の人々との交流活動という五つの観点から分析を進めたい。

 

() 食生活

夫婦二人は暮らし始めて良かったこともあれば、さまざまな食い違いを感じ、喧嘩になってしまうこともある。これも日本人同士の夫婦でも同じだと思うが、国籍が違い、文化や生活習慣が異なることが喧嘩の原因になることもすくなくない。今回の調査においては、食に関する悩みの多い人と悩みの少ない人という二つのタイプに分けられる。

まず、食に関する悩みの多い人の事例を見てみよう。

Aさんと夫ともに料理研究に関心を持っている。夫婦二人は同じ趣味を持っていることでもあり、料理屋を作り出したいという夢を叶うことでもあり、休日に遊びがてら料理にかかわる情報を集めている。二人の間では料理に関する話題が多いらしい。このことからは夫婦双方は同じ趣味を生かし、結婚生活を維持し続ける思いが見られる。しかしながら、Aさんの夫は中国料理の調理師であるので、中国料理の付け合せには詳しいだそうだ。Aさんは「父も料理師で、私は幼い頃から父の影響で料理が好き、家庭環境にもはぐくまれて、中国食文化に関する深いところまでよく知っている」という自信がありそう。こうして、二人は料理の添え物の違いによる喧嘩も多くなっている。

Cさんは夫と結婚し始めての頃、日本料理を作ることができなくてロシア料理に頑張ってきたが、夫に怒られるときはしばしばあると言っている。「目の前に出してくれた料理に対して、夫はなぜ怒るのか」という質問にCさんはこう考えている。ロシア料理は、ボルチェー、何種類の野菜を一つの鍋に入れて煮込んだりするので、出来上がった料理が一つのお皿に入れてしまう。ロシア人とって、ボルチェーとパンは栄養がたっぷりのご馳走である。それに対して、日本料理は一つの料理を一つのお皿に、味噌汁とご飯を加え、見た目で食卓は豊かである。その後、Cさんは電話で義母に聞くか自分で料理の雑誌を探すかという二つの方法を通して日本料理の作り方を覚えられたと言っている。このように、食卓に夫に口に合う日本料理を出せるようになった。

 次に、BさんとDさんの家族では食文化の違いによる摩擦が少ないと言っている。二人の話の中では何でもおいしいといって食べてくれる夫に感謝していると感じられる。しかも、夫はむりをして妻に合わせているところも見えない。

国際結婚をして、おたがいに相手の文化を受け入れられないことによって起こる摩擦はいろいろある。上記の例から、食べ物のことで口げんかをすることは夫婦の一方が相手の国の不適応症状を示すといえるだろう。「食べ物の恨みはこわい」というように、この小さな違いが日々の生活の中で積もり積もっていくと、夫婦の間に大きな溝をつくりかねないではないかと思う。食文化に対するお互いの受け入れ姿勢のあり方は異文化への対応の第一歩であるということがいえるだろう。

 

() 家事

 家事分担については、この4人の例を見てみると、家事を多くこなしているのは妻のほうである。ただし、夫は手が空いたときに手伝う。家事について夫の自主性に期待することができるだろう。

Dさんの夫は労働時間が長くて家庭の時間が取れないと言ってはいるが、Dさんと家族一軒家に住んでいるので、家の周りの仕事夫にしてもらえる。そして、庭でバーベキューをやるときに夫はその担当者であり、その日に料理とかを全部やってもらえるらしい。Cさんは「共働きの夫婦には夫が多少の家事を分担するのは必要」だと言葉に表した。Cさんの母国では、ソ連の時代から女性は男性と一緒に働かなければならないので、一日8時間働き、女性一人で家事をやるのは大変なことだし、ロシアの男性は家でできるだけ家事を手伝うと言う。Cさんは「夫が家事を手伝うのは当たり前のことだ」と思っている。Cさんの夫は仕事がある日にほとんど家事はできないが、休日に料理をつくっているという。最初からはそういう感じだったらしい。

AさんとBさんは家事分担には不満もなかった。妻が家事を行うという生活を受け入れ、夫とうまく家事分担をするために努力をしているようだ。Aさんは「夫は家族のことを考えてくれる人で、ふだん、私は(家事で)忙しくなるときに夫がよく手伝う」と話した。そして、Bさんは夫と家事をそれぞれ分担していないが、夫もなんでも手伝ってくれる。Bさんは仕事をしていたときに、夫は晩御飯をつくっていたという。

また、彼女たちは同居している姑と家事分担もうまくやっているように見える。

 Aさん「いつもお母さんと一緒に二人で共同にやっている。私は何をやるべきか自分もよく考えているし、お母さんも教えてくれるし、お互いに協力してやっている」。

 Bさんの義母はわざと人を困らせる方ではないし、細かいことを気にしないらしい。お昼、家にだいたいBさんと義母二人きり、年配の義母さんはいつも家事をBさんに任せている。

 Dさん「ウチは畑とかは有るから、だから、だいたい外の仕事はお祖母ちゃんがしてくれるんですね。仕事の後、休みの日に。家の中の家事は私。まぁ、言われないでそういうふうになってきたんですね」。

 

() 言葉

 どんな言葉を共通語に生活を営もうが、それは夫婦の間の選択であるが、重要なことは言葉によっておたがいがよく見えているかどうかということである。文化も習慣も異なった国で生きてきた二人が一つの家庭をつくり上げていく段階で、言葉は不可欠な要素となる[石川1992 p31]

 AさんとCさんの夫は自分の結婚相手()の母国語が話せるので、夫婦間のコミュニケーションにはその言葉の大きな役割を見せている。この二つのケースにおいては、夫が相手

の母国語が上手に話せるにしても、微妙な差異で口喧嘩になるときもある。Aさんは「夫が中国語を話せることにしても、中国文化を少ししか知らず、深く理解していないところもある」、そして言い争いでは誰が正しく誰が誤っているかを明らかにすることができる」と考えている。Cさんも夫と食事にかかわる矛盾があったときに、「すぐ落ち着いて、話をしよう」という意識で、問題が解決されたという。花嫁のほうが日本語で言いたいことがうまく言えない傾向が見られるようだ。Aさんと夫は中国語で会話するときは多いため、二人の会話の内容について姑はぜんぜん分からないらしく、結局、夫婦間では喧嘩になりそうな雰囲気に見えたときに、姑はその原因を聞かずに嫁だけを責めているという。Aさんは「それはまったく理屈に合わない」と思っており、姑とそのようなつまらないことでお互いが不満を持っていると言っているが、そこにはAさんは「郷に入っては郷に従え。その家族の中に入って、いきなり皆に私の生活習慣に従うのを言ってはいけない。私もお母さんの気持ちをよく考えてあげているし、双方で多少とも歩み寄れば、問題は解決できるだろう。私を家族の一員として一緒に暮らしたいと考えてほしい。お互いに尊重し合うことは大事だろう」と考えている。そして、Cさんは夫との両親は同居していないため、Aさんみたい姑と言葉の不理解による不愉快なことはなかった。しかし、来日してはじめての頃はCさんは日本語をぜんぜん喋れなかったので、普通の生活ならロシア語を喋れる夫に助けてもらったりしていたが、夫はそばにいないと自由がなく、どこにも行けなかったという。「やっぱり、寂しい。テレビを見て、最初何にも分からなくて、ニュース、世界ニュース何を言ったの?何にも分からなかった。そういう何にも分からない世界だったから」という。子供を生まれてから、近所の子供連れの人の付き合いはあり、すこし安心して楽しく生活するようになった。その後、子供を保育園に行かせ、Cさんは日本語学校に入って日本語を習い始めたという。現在5歳になった娘は2ヶ国語(日本語、ロシア語)を話せる。Cさんと娘の会話はロシア語を中心にし、夫は子供と日本語で喋っている。Cさんは「それは一番自然だ」と言っている。そして、夫婦間では日本語とロシア語を使っているが、Cさんは日本語で言いたいことをうまく表現できないときにロシア語に変わってしまう。

日本に来て困ったこととか、悩んだこととかはBさんにはあまりなかったという。なぜなのか。それは、最初からBさんは日本語で周囲の人とコミュニケーションをとることを重視していたことに関係があるようだ。Bさんは夫と結婚する前に二人の間では唯一な連絡方法は電話であった。Bさんは日中辞典を二冊購入し、一冊を自分の手元に、もう一冊を夫に送った。毎日一時間以上の電話をかけていた。「話をして分からないところあったら、二人とも辞書を引く。その単語を見つかった人は相手に教える」と言っていた。そのような付き合いは二人の間では毎日続いていた。そして、夫の母()はできるだけ自分の言葉を標準語にして親切にBさんに解釈してあげていたそうだ。「不安や不満を感じていない。ウチではわだかまりが生じたら、翌日までこの溝を取り除くことをしない」、「うん、言葉が通じるので、不満はない」と、Bさんは言っていた。Bさんと同じく最初から日本語を媒介して夫、夫の親とのコミュニケーションをしていたDさんも「言葉通じるので、とりあえず問題あったら解決するように、言葉で解決することは言葉で解決して」と主張している。

 家庭をつくる作業は、一つの戦争でも有る。攻撃したり、守りを固めたり、はたまた妥協をしたり・・・・・・。そのときの武器は言葉だけ[石川1992 p31]。例えば、日本人なら常識だと思っていることは外国人にそれは通用しないときもある。小さなことでもいちいち説明を要する場面に出合うことがある。上記の例から、花嫁は夫及び夫の家族と言葉を媒介しなければお互いの気持ちは分からなかっただろうし、話に出たからこそお互いに理解、信頼感を高めていることを言ってよいだろう。それに対して、自分の意見なり主張なりをはっきりと相手に伝えることができないままかたづけてしまうと、あとで二人の間の溝に愕然とすることにもなりかねない。

 

() 同居者

では、自分たちの家庭に強い影響力をもつ配偶者の親の存在により、日本人男性と結婚した女性はどんな影響を受けているのか。

 今回の調査において、Cさんの場合は夫の両親と同居していないので、特別の例である。夫の両親は年に何回もCさんのところに来ているし、Cさんも家族三人でそちらに行っている。Cさんは「家族、主人の家族と、不満あまりなかった。普通にやさしくしてくれるから、ぜんぜん喧嘩とか。あっち日本人だし年寄りだし、親切しなきゃと思ったから。一緒に住まないから、一年5回くらい会ってもそんなに気にしなくてもいい」と言っていた。BさんとDさんは夫の母親と同居しているが、特に問題はないようである。Bさんの義母さんはわざと人を困らせる方ではない、しかも家事とかを全部Bさんに任せていると言う。家事などを行う際の衝突が起きにくく問題が少ない。国際結婚をしたカップルが夫婦共に働く場合はあるし、そんな時、同居している母の存在が大きな助けになったということが、Dさんの家族から見える。仕事で夫婦二人とも家にいないときに義母に子供の面倒を見てもらっている。ここではDさんはこう述べていた。「子供が二人いるから、お祖母ちゃんはいてくれたほうがすごく助かる。うん、お祖母ちゃんのおかげで円満のような気がする、家庭が」、「お祖母ちゃんはやさしいお祖母ちゃんだから、いいお祖母ちゃん、うん、喧嘩とかしてないし、だから、おかげでけっこう円満です」。Aさんの場合には嫁に厳しい姑が存在している。「私はせっかちだから、思ったことをすぐ言い出してしまう。両親と同居してから自分の性格は変わった。彼の両親の気持ちを考えなければならない」と言っていたAさんは義母への不満もある。しかし一方で、彼女は夫と結婚した後、料理交流室を通っていろいろな料理の作り方を覚えるようになった。料理の作り方を試しながらも姑との会話も多くなってきたと言っているが、日本語で自分が言いたいことをうまく伝えられないため、Aさんと姑の間に隔たりはまだ存在しているように感じられる。しかしながら、Aさんには「郷に入っては郷に従え。その家族の中に入って、いきなり皆に私の生活習慣に従うのを言ってはいけない」という考えも持っている。そこから、自分の国と日本とは違うのだから文化的習慣的な差異に慣れるまでは我慢することが必要、どちらも自分のほうが我慢する必要がある、という考えがみられる。

 

() 家族以外の人々との交流活動

 ここからは、私が行ったインタビュー調査を通して、国際結婚をして日本に住む女性たちの「付き合い」についてみてみよう。

 日本という異文化で生活するとき、最も安心するのは、同じ文化を持つ人、同じ言葉を話す人と出会ったときであろう。結婚して日本で生活しているロシア出身のCさんとDさんは次のように語っていた。

 

Cさん

 

…日本人の知り合いがいるが、親しい友人とはいえない。ロシア人の友達は4人いる。だいたい、週に一回集まって、子供たちは一緒に遊んだりする。近所の日本人の知り合いとよく散歩したりするが、料理の作り方とかという話しだけだった…

 

…日本語学校、生け花教室を通して知り合った人に手紙を書いたり電話したりするけれども、食事とかはあまり行かない…

 

…ロシア人の友達とよく会うだけど、週に一回、二回ぐらい集まって。まぁ、子供の子育てとか、ロシア人と。子供の子育てとか、いろんな日本人の習慣とか。最近のニュースとかも、どうしたんだろうか、いろんな。なかなか分からない。ロシア人と違って。

 

Dさん

 

…ロシア人友達は多いですね。日本人も一人親しい友人はいます…

 

…どのようなきっかけで、たとえば、ロシア人だったら、ロシア人であるきっかけで知り合いになる。たとえば、同じく日本の大学に留学に来てる女の子がいれば、大学の先生の奥さんと知り合って、友達になって。うん、それはなんか、特にイベントあって、その中ロシア人いて、ちょっと声をかけて、その付き合いが長くするんですね…

 

(言葉が一緒だったら、自然に親しくなったりする)そうですね、あまり、悪く言えば、選択肢はないですね、うん…

 

…でも、なんか、でもお互いが納得してるというか、今の付き合いが、あのー、私はすごく大事にしたいですね。とても恵まれてると思います。こっちに知り合ったロシア人でも日本人でも、とてもとても恵まれてます。大事にしなきゃと改めて思います…

 

 このように、CさんとDさんは、日本人の友人もいないわけではないが、どちらかといえばロシア人との交流が中心になっている。

一方で、同じ国の人と付き合っていないという人もいた。しかも、同じ国の人がいても、親しくない場合である。中国出身のBさんは「親しくしている友人は多くない。近所の一人の日本人友達がいる」と話している。Bさんは住んでいるところには町内活動が多く、運動会や祭りなどを参加しに行ったという機会をもって、二人は付き合い始めたという。

さらに幅広く付き合いをしている人もいる。もう一人中国出身のAさんは日本語教室に行っているいろいろな国の人に積極的に話をかけているという。彼女はその人たちとの付き合いについて、こう言っている。「この日本語教室を通して中国人だけじゃなくて、たくさんの国の人に出会うことができた。皆は会話することにより、異国の生活習慣などを知ることもできた。私は人との付き合いが苦手じゃない。しかも、行ったところは多く、見るもの聞くものたくさんある。皆と一緒に話しをしたり、笑ったりするのは好き」。

私も日本に在住している外国人であり、日本人の付き合い文化には、礼儀を重んじると感じている。この考え方、同じく日本に住む彼女たちにとっては重苦しく感じているのではないかと思う。それは日本人との付き合いがあまりうまく行っていないという原因になるだろう。このような、日本人との付き合いで感じたギャップをどのように対処するのだろうか、一つの対処法として、他の国の人と付き合うということがある。それは日本での生活に慣れ親しみ、日本での生活を支える大きな力になっていると考えてよいだろう。

 

 

2節 幸せな国際結婚へ

 

 これまでに夫婦関係に影響を及ぼすと思われる5つの観点を取り上げてきた。それは食生活、家事、言葉、同居、家族以外の人々との交流活動である。

 食生活においては、Aさん、Cさんの場合とBさん、Dさんの場合で食に関して悩んだ経験の多さに違いが現れた。Aさん、Cさんの場合には、食生活習慣が異なるため夫婦喧嘩の原因になるときはあるという話を聞け、この小さな違いを無視すると夫婦関係に影響を及ぼうものになるように思えた。Bさん、Dさんの場合は夫が無理をして妻に合わせているところも見えないし、食文化に対するお互いの受け入れの姿勢があるようだった。

 家事については、この4人の家庭では夫は積極的に家事を手伝うときが多く見られる。家事は妻が行うものだという考えがないように思われた。また、夫婦共働きであるほど家事分担がより公平になるのではないかとはっきりと言い出したのはCさんだけであった。ここから、家事分担においてはある程度の公平さが保てそうだと言える。

 言葉においては、夫は妻の母国語を喋れる場合と喋れない場合に分けられている。AさんとCさんの夫は妻の母国語を話せるため、夫婦間のコミュニケーションにはその言葉の役割が大きい。それに対して、BさんとDさんは夫との会話は日本語を媒介している。そして、この4組のカップルたちにとっては結婚前からの付き合いの時期を含めて、言葉の壁を感じたことはないようだ。しかし、夫婦二人の間には「言葉の壁」はなければ、生活を安定して続けるというわけにはいかない。同居している夫の家族の存在を忘れてはいけない。一つの事を話すのにも「なぜそうなのか」、「それはどういうことなのか」と納得するまで聞いてくるかもしれないので、面倒くさいと思いながらできるだけ分かりやすく答えなければならない。例えば、Aさんは夫との会話をよく自分の母国語(中国語)で行っているため、夫の母()は二人の話の内容をよく分からないのである。夫婦喧嘩に見えそうなときに姑は息子を庇う気が強くて嫁を責める。そのため、嫁と姑はお互いに不満を持っているようだ。このように、どの言葉を完璧に話すということではなく、その言葉を使うことによってどれだけ自分自身を夫及び夫の家族に正確に表現できるということは安定な結婚生活を保つには重要ではないだろうか。

 同居者においては、義理の親との関係をどのように捉まえているかに違いが現れた。Cさんの場合は同居していないから、そんなに気にしなくてもいいと話し、お互いが不満とかを持っていないし、特に問題はなかったようだった。BさんとDさんは同居している義母の存在は大きな助けになるという意識を持っており、家事などを行う際の衝突が起きにくく問題が少ないようだった。Aさんの場合は義母との関係で文化的習慣的な差異に慣れるまで自分の我慢が大切だという話を聞け、自分が義母との距離を縮めるためにコミュニケーション方法を考えているように見える。

 家族以外の人々との交流活動においては、CさんとDさんの場合は日本人との付き合いよりロシア人との付き合いは多いようだった。Bさんの場合は近所の一人とよく付き合いをしているが、ほかの親しい友人はあまりいなかった。Aさんの場合は幅広く付き合いをしている。日本語を習う機会を利用し、いろいろな国の人に積極的に話をしているらしい。姑との関係に微妙な点があるAさんにとって、そうした積極的な交流活動が、ストレス緩和の効果を果たしているといえるかもしれない。

 

今回の調査では4人の国際結婚をしている在日外国人女性に話を聞くことができたが、1人1人の日常生活状況を描いていくとともに、彼女たちそれぞれの意識や行動に少し触れることができた。以上のことを総合して考えると、国際結婚というと夫婦それぞれの国の文化や習慣の違いが考えられると思う。しかし、もう一つの問題は、言葉でお互いがどのくらい理解できるかを無視してはいけないと思う。結婚したあとは、アイラブユーだけですまないからである。国際結婚そのものは簡単に成立するが永い結婚生活をなれば、当事者の努力と忍耐と、また周囲の人たちの援助や協力がなければ続かないだろう。

トランスクリプトを読み進めていくうちに、「これからも(家族)円満で続けば一番いいですよ」とDさんは言っていた話をみたところ、それはDさんのみならず、ほかの国際結婚をしている人たちの願いではないかと思うようになった。改めて「国際結婚によるギャップを埋める」ということを考えていくうちに、人種、国籍、宗教、肌の色が違っても、人間は皆同じである。国際結婚カップルは、偏見や差別という言葉のない家庭を一緒に築き、それぞれの国が、お互いによいところをいっぱい持っている国であることを少しずつでも理解してもらえよう、努力することは幸せな国際結婚に一歩近づいたのではないかと思っている。

 

本稿の国際結婚カップルが誕生するパターンと違い、結婚斡旋業者を通じて来日した「アジアの花嫁」は、さまざまな問題を抱えながらも日本の社会の一員として定着しつつある。しかし、今回の調査ではこういった国際結婚の実態についての実証的研究を行うことができなかった。「花嫁」は調査の性質そのものは自分のプライバシーなどにかかわる部分を含めているのではないかと恐がっている。私が聞けた話では、「悩みを話しても、人に同情されていないし、話したたら、何とかしてくれるの?」と、「花嫁」はインタビューに応じることもなく、貝のように固く口を閉ざしてしまった。結婚斡旋業者といった第三者の仲介を経て結婚する場合は結婚話が成立すれば、女性は支度金をもらい、航空券をわたされて日本にやってくるという。もちろん事前に日本のことを十分に知らされずに、うまい話だけ聞かされて日本に来たという女性もたくさんいる。このようなことの反復が、日本人男性とアジア系の女性との国際結婚を何かいかがわしいものでもあるような社会イメージを構成してしまっている気がする。しかし、国際結婚は「人身売買」ではない。多少の金銭がかかったとしても異国の花嫁は幸せを求めて新生活に入ってくるのである。国際結婚といえども人間と人間との結婚であるから、結婚に国境がないということを認識し、また周りにそういう人たちがいるとすれば暖かく見守ってやる必要が、世界の中の日本という面から見ても、また国際交流という視点からも必要な時期になっているのではないだろうか。



参考文献

 

石川幸子著 『地球家族づくり―国際結婚―』サイマル出版会 1992

石井昭男発行者 桑山紀彦著『国際結婚とストレス―アジアからの嫁と変容するニッポンの家族―』1995

駒井洋編 石井昭男発行者『講座外国人定住問題 第2巻―定住化する外国人』明石書店 1995

小林英之著 『国際結婚の正しいすすめ方』()日本経済通信社 1994

竹下修子著 『国際結婚の社会学』学文社 2000

千葉大学文学部行動化学科社会学研究室 編集『国際結婚は語る 2001年度社会調査実習報告書』正文社() 2002